三良坂町 知波夜比古神社


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神社名:知波夜比古ちはやひこ神社
所在地:三次市三良坂町三良坂1077番地
御祭神ごさいじん主祭神:乳速日命ちはやひのみこと市杵島姫命いちきしまひめのみこと
相殿神:
天照大御神あまてらすおおみかみ大年神おおとしのかみ大名牟遅命おおなむぢのみこと宇迦之御霊神うがのみたまのかみ宇気母智神うけもちのかみ国常立神くにとこたちのかみ
火産霊神ほむすびのかみ素戔嗚命すさのうのみこと
例祭れいさい10月14日/15日(現在は15日前の土/日曜日)
御朱印:対応しております。(直接神社の方にお問い合わせください。)
境内社: 大年神社、愛宕神社、穀神社、伊勢社、桜神社
境外社: 八坂神社、天満宮

由緒:
先代旧事本紀(807~815年頃成立)巻第三天神本紀によると、乳速日命ちはやひのみこと広佛神麻続連ひろせのかむおみのむらじらの祖)天孫降臨の砌、三種の神器を納めたる御箱を棒持ちし給いて御供仕え奉りし神なり。世が落ち着くまで天孫ににぎの命の護衛を勤め、後に御箱を賜り三谿郡三良坂の地に降り鎮まり給う故に其の地を御箱山みはこやまと云う。また、御神体を其の御箱に納め鎮め奉る故に御箱山みはこやまと称えるとも伝承あり。
 延喜五年(905年)に始まり延長五年(927年)に撰上された「延喜式 神名帳」に備後國三谿郡一座知波夜比古神社とあり、奈良時代以来全国の霊験著しい社を撰上され、延暦七年(798年)以降僻遠の地においては、神祇官に代わり国司より祈年祭に幣帛を賜る国幣の社とされており、このことからも当神社の創建は大和時代頃に遡ると思われる。
 万治二年(1659年)火災に罹り、社殿・宝物・旧記悉く焼失し少祠を建てて祭祀を行っていた。しかし、乳速日命ちはやひのみことの御神体は宮司が戦国時代とくに式内社の祭神である乳速日命ちはやひのみことの御神体の盗難を恐れ、隠し宮と称して塔ノ山に遷座していたため難をのがれる。遷座の後は応永十四年(1407年)に分霊を賜った厳島神社として字岩崎に祭っていた。戦国時代の混乱が治まった後に現在の字御箱山に少祠を建て遷座をして祭祀を続けていた。享保四年(1719年)八月 広島藩第五代藩主 浅野吉長侯より天下太平領土安穏武運長久の御祈願所として、知波夜比古神社へ御供田八畝奉納あり。天明六年(1786年)に至り社殿再興され、同年五月七日 宗源宜旨及び官幣を賜り三谿郡三十八箇村の惣社となる。また、昭和四年十一月二十一日郷社に例格される。
 大正十一年 字岩崎の村社 厳島神社、字段の多遠山神社、字宮沖の沖森神社、大字三良坂の荒神社を本社に合祀する。