畠敷町 熊野神社


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神社名:  熊野神社
所在地: 三次市畠敷町629番地
御祭神ごさいじん 伊弉冉尊いざなみのみこと、 速玉男尊はやたまのおのみこと事解男命ことさかのおのみこと雄略天皇ゆうりゃくてんのう(日本国第二十一代天皇)
(本殿に合併:天神神社、下加茂神社、 八幡神社)
例祭れいさい 10月第二日曜日
御朱印: お問い合わせください。
その外: 「神宮大麻」伊勢神宮の御札を授与しております。
(直接神社の方へお問い合わせください。)
問合せ先: 社務所 三次市畠敷町624番地1 小原義識 宅 ℡ 0824-63-4841

由緒:
日本国第二十代天皇(安康天皇)の御代、同母弟大泊瀬幼武皇子おおはつせわかたけのみこ(允恭天皇の第五子で後の雄略天皇)は紀元420年都を出て、吉備國きびのくに 幡次郷はたすきごう(畠敷の遺名)に至り、宮殿を造り仮住居かりすまいする。時に、紀伊國きいのくにの熊野に坐す大神を祀り誓って曰く、「我、天皇の位にかむことを望む。ねがわくは神護を得て、能く此の目的を達成せん事を、天皇即位達成の暁は此の処に社を建立し、以って大神を祀り奉らんとす」「若一王子権現古證記」より。其の後、機を得て都に還り皇位に登り、泊瀬朝倉はつせあさくらの宮に天下を治め給う。のち茅麿かやまろ(小原茅麿にて雄略天皇の近臣)を以って熊野大神を幡次の郷に祀らしめた。雄略天皇の遺跡と称せられる「王の壇」並びに御猟し玉うた川と伝える「御猟川」現存する。
縁起より、崇敬区域は北備一帯に亘り、三次郡を中心に絶対勢力を有した三吉氏が、当社を崇敬し、分霊も各地に勧請され、旧三次郡(布野・三次・板木)、三谿郡(三良坂・吉舎・神杉)あたりはもとより恵蘇郡(高野・口和・比和)、三上郡(庄原)、奴可郡(西城・東城)、高田郡(粟屋・甲立)あたりに及んだ。また足利尊氏も当社を信仰し、暦応二年(1,339年)社殿を修造する。
戦国時代末頃の崇敬区域は、三次郡富田庄(現三次町・十日市町・西酒屋町・東酒屋町・畠敷町・南畑敷町、四拾貫町、後山町、穴笠町、東河内町以上十村)の範囲となり、寛永以後の三次藩浅野氏時代は各地に氏神が独立し、当社氏子は、六ヶ村(畠敷村・南畑敷村、四拾貫村、後山村、穴笠山、東河内村)となる。古より五穀豊穣、家内安全、災厄消除、商売繁昌、学問成就、安産、代々繁栄産土の大神として奉られる。
県重要文化財の宝蔵は校倉造で、組上げた柱等は室町時代末期当時のものである。境内には県天然記念物のシラカシ(樹齢二千年)がある。神社北東にそびえる標高420mの比叡尾山には中世、当地に君臨した豪族三吉氏の居城址がある。全山及び隣接の岩屋寺周辺に点在する文化遺産は私たちに歴史の足跡を語りかけている。