東酒屋町 八幡神社


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神社名: 八幡神社
所在地: 三次市東酒屋町536-4番地
御祭神ごさいじん 品陀和気命ほんだわけのみこと伊邪那美命いざなみのみこと須佐之男命すさのおのみこと
例祭れいさい 10月10日
御朱印: 対応しておりません。

由緒:

【藝藩通志巻百三十 備後國三次郡四 祠廟 寺院の記述より】
【廣島縣雙三郡誌(大正12年3月31日発行)の記述より】
・東酒屋村にあり、三吉致高みよしむねたか(人名)、はじめて建つと云う、後兵火に罹(かか)り、慶安四年辛卯(西暦1651年)、再造すという。
・棟札に宝永2年(1705年)延享4年(1747年)宝暦8年(1758年)再建と記す。
・明治4年村内の小社を合祀し東西両酒屋町の総氏神となる。
・備後三吉氏の歴史 備後国へ下向、国人領主として成長する
 12世紀に兼範が近江国から備後国三吉郷に下向、その子、兼宗が三吉大夫と称し三吉氏の初代となった。比叡尾山城ひえびやまじょうを拠点とし、国人領主として備後国内で勢力を拡大していった。
鎌倉幕府の滅亡の頃、三吉氏は後醍醐天皇方に味方し、後に中国地方に下って来た足利直冬に従った。直冬の勢力が衰えると、近隣の有力大名、山内氏、大内氏、尼子氏の下を転々とした。戦国時代の当主 三吉致高は天文9年(1540年)、吉田郡山城の戦いの前哨戦である宍戸氏の祝屋城(安芸高田市)攻撃、吉田郡山城の戦いにも尼子方として参戦した。その後は大内氏に転じ、月山富田城の戦にも参戦した。そのため天文13年(1544年)比叡尾山城ひえびやまじょうに攻め寄せた尼子氏を迎え撃った。(布野崩れ)
 八幡神社は応神天皇おうじんてんのう神功皇后じんぐうこうごうをはじめとする神様をおまつりした神社です。源の頼朝により鎌倉幕府が開かれてから武家の守護神として全国各地におまつりされるようになりました。三吉家にとって武家の神様をお祀りすることで戦国の乱世を生きぬいていたのではないでしょうか。
 現在では「はちまんさん」の愛称で地元の人々に大切に守られている氏神さまです。